福岡高等裁判所 昭和44年(う)720号 判決 1970年5月11日
被告人 谷山博
主文
原判決中無罪部分を破棄する。
被告人を罰金一万円に処する。
右罰金を完納できないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原判決中有罪部分に対する控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官渡辺芳信提出の控訴趣意書(検察官戸根政行名義)記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人鹿島重夫提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
同控訴趣意第一点(業務上過失傷害=無罪部分に関する事実誤認とこれに基づく法令適用の誤り)について
所論は要するに、判決は被告人の業務上過失傷害の公訴事実に対して無罪の言渡をなしたが、右は事実の点において、被告人の横断開始時における被害者白垣正光の車との距離は約一二・三メートルないし一五・八メートルにすぎなかつたにも拘らず、右距離を四〇メートルと誤認し、更に、接触点が被告人の車の停止点手前二・六メートルの地点であつたにも拘らず、これを被告人の車の停止点附近と誤認し、その結果被告人の左折横断を相当となし、信頼の原則を適用すべき場合でないのに、これを適用して被告人の安全確認義務違反による過失を看過していることが明らかである。しかして、原判決の右の誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというにある。
よつて検討するに、原判決が所論指摘の公訴事実につき、無罪の言渡をなしていることはそのとおりである。ところで、右無罪理由は要するに、被告人の普通貨物自動車は横断開始から時速約一五キロメートルないし二〇キロメートルの速度で六・六メートル走行し、右横断開始時に後方約四〇メートルの地点を時速六〇キロメートルの速度で進行してきていた被害者白垣正光の自動二輪車と接触しているので、同人が制限速度(毎時四〇キロメートル)の範囲内で運転進行しておれば、本件事故は避け得られたものと認められるので、信頼の原則に徴して、被告人に過失責任はないというものである。
そこで、本件記録中関係証拠を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌してこれをみるに、原判決が右の無罪理由として掲げる事実の認定は正確でなく、証拠(後記証拠の標目)に現われる関係状況によれば、原判決がいわゆる信頼の原則によつて被告人の過失の成立を否定したことも是認しがたい。すなわち右各証拠を総合すれば、被告人は左折横断しようとして左後方を見たところ約三四・五〇メートルのところを直進してくる被害者白垣の自動二輪車を認めて、横断のための左折開始地点から斜めに約一八メートル走行して、右白垣の車と衝突していることが認められる。(被告人の検察官に対する昭和四三年一一月一日付供述調書中、司法警察員作成の実況見分調書添付の図面の<2>点で後方を見たところ、四〇メートル位であつた趣旨の供述部分は、被告人の司法警察員に対する供述調書及び当審における事実取調の結果によれば右<2>点は右調書添付の図面の<1>点の誤りと認められる。)しかして、被告人の車の長さは四・六九メートルであり、且つその前端(フロントバンバー左端)に接触衝突しているので、被告人の車の全体が被害者の車の前面を横断離脱するには左折横断開始点から約二二・六九メートル走行しなければならないところ、制限速度たる時速四〇キロメートルは被告人の車の速度(毎時一五ないし二〇キロメートル)の約二倍ないし二・七倍の速度にあたるから、被害者白垣が右制限速度で進行したとしても、同人の車が約四五・三八メートルないし六一・二六メートル以上後方にいた場合でなければ被告人の車は安全に横断することができなかったものと認められる。しかるに、右白垣の車は既に被告人の車の左後方約三四・五〇メートルに来ていたのであるから、被告人の如き左折斜め横断の方法をとる限り、たとえ白垣が制限速度四〇キロメートルで進行していたとしても、既に横断の余裕はなかつたことが明らかであつて、被告人は右の如き左折横断をなすべきでなかつたものといわなければならない。
また、原判決は本件につき、いわゆる信頼の原則の適用を前提として、被告人の過失の成立を否定しているのであるが、右に述べた関係状況に照しても、その妥当性はない。のみならず、前記状況において被告人が自己に要請さるべき左後方に対する安全確認義務を尽くしていれば、被告人は白垣の車の高速なることを認めることができると共に、適法な速度を信頼し得ない状況にあつたのであるから、右の義務を怠つた被告人にいわゆる信頼の原則を適用する余地はないものといわなければならない。すなわち、
本件道路には車両通行帯が設けられ、被告人は第二通行帯(幅員三・四五メートル)を、白垣は第一通行帯(幅員五・三五メートル)を、同一方向に各進行していたものであるが、右各通行帯は区分緑地帯で明確に区別され、被告人が白垣の進行せる通行帯を横断するためには、右の区分緑地帯の切れ目から左折横断するものであるところ、被告人としては第一通行帯の車の正常な交通を妨害するおそれのある横断をしてはならないのであつて、横断にあたつては単にその合図をするのみでは足らず、第一通行帯の進行車両の有無、動向とくにその速度及び自車との距離、自車のとる横断方法などを総合し、横断の余裕がないときは待機して通過を待つなど、状況を適切に判断しながら進退して、安全を確認し危険を防止すべき注意義務があるものといわなければならない。しかるに、被告人は左折横断しようとして、第一通行帯の白垣をちらつと見たのみで、その速度その他を全く考えず、横断の余裕あるものと速断軽信し、漫然と第一通行帯を斜めに横断し、白垣の自動二輪車に接触してこれを滑走させ、本件事故を惹起したことが認められる。したがって、被告人が左後方に対する前記安全確認義務を尽していないことは明らかであつて、かかる被告人の場合に対して信頼の原則を容れる余地はない。なるほど、白垣が制限速度を超えて運転していたことは当然非難さるべきであるが、これを考慮しても、本件事故が被告人の前記過失に起因することは否定できないものである。
そうすると、被告人に対して無罪を言渡した部分の原判決は注意義務の前提事実を誤認し、且つ不当に信頼の原則を適用したため、被告人に要請さるべき注意義務の構成を誤つたものというのほかなく、右の誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。
同控訴趣意第二点(量刑不当)について
所論は、原判決中有罪部分に対する刑の量定が軽きに失して不当であるというにあつて、被告人の右詐欺、横領は多数回にわたり、被害額も大きく、被告人の前科及び生活態度等を併せ考えると、その犯情は強く非難さるべきであること所論のとおりである。しかし被告人に対し懲役二年の実刑をもつてのぞんだ原判決の科刑は右の犯情を考慮したものであつて、必ずしも軽きに失し不当であるとは断定しがたい。論旨は理由がない。
なお、前示のとおり無罪部分について原判決を破棄すべき本件においては、有罪部分と右破棄部分が刑法四五条前段の併合罪の関係を形成するので、有期懲役刑を相当とする限り、原判決全部を破棄すべきものである。しかし、前記のとおり有罪部分に対する量刑は相当であり、また無罪破棄部分たる業務上過失傷害の科刑は有罪部分の起訴後でありながら、略式手続による罰金刑を求刑したことによつても明らかな如く、罰金刑を相当とし、結局本件は刑法四七条を適用して一個の有期懲役刑をもつて処断すべき場合ではないので、有罪部分まで破棄すべき事由はない。
以上のとおりであつて、原判決中有罪部分に対する控訴は理由がないので、刑事訴訟法三九六条に則り該部分の控訴を棄却し、同無罪部分につき同法三九七条に則り該部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、次のとおり自判する。
(罪となるべき事実)
被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年一月一八日午後零時一七分頃、普通貨物自動車を運転し、長崎県佐世保市三浦町四番一一号地先道路(幅員約二四メートルにして左右に各三本の通行帯をもつ)の左側部分の第二通行帯から道路左側の給油所に向い、左側部分の第一通行帯を横断するにあたり、右第一通行帯を進行する車両に対する危険を防止し、その安全を確認した上横断すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、単に左折横断の合図をしたのみで、右の安全確認の義務を怠り、漫然時速約二〇キロメートルの速度で左斜めに横断にかかり、折から第一通行帯を直進してきた白垣正光運転の自動二輪車に自車左前部を接触させ、同車を横倒にしつつ歩道上を滑走させ、右歩道上を通行中の原博良(当時四〇才)に衝突せしめて同人を転倒させ、同人に対し加療約二週間を要する頭部挫傷の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は、行為時においては昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二、三条に、裁判時においては右改正後の同条前段、罰金等臨時措置法二、三条に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑に依ることとし、その所定刑中罰金刑を選択し、右罰金額の範囲内で、被告人を罰金一万円に処することとし、右罰金を完納できないときは同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
よつて、主文のとおり判決する。